宇佐海軍航空隊関係 旧三洲国民学校コンクリート塀

宇佐海軍航空隊関係 旧三洲国民学校コンクリート塀 (うさかいぐんこうくうたいかんけい きゅうさんしゅうこくみんがっこうこんくりーとべい)

柳ヶ浦小学校は戦前は三洲国民学校と呼ばれており、戦局が悪化した1945年には、小学校の教室や講堂は航空隊員の宿舎として利用されていました。 1945年3月以降に行われた米軍の空襲による傷痕が、小学校東側の塀にいくつも残っています。 1945年4月21日の空襲で講堂や教室に寝泊まりをしていた航空隊員が多数亡くなりました。 戦争遺構として、宇佐市の文化財に登録されています。